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「あの日見た君の横顔を、絶対に忘れない」 #13 ジョギング

翌朝は、目覚まし時計が鳴る1分前に目が覚めた。
普段より1時間早く設定していたにも関わらず即座に起きられたというのは、やはり神経が張り詰めていたからなのだろう。
とはいえしっかり眠れたというには程遠い。怠惰な眠気を引きずったままTシャツと中学時代のジャージズボンに着替え、洗面所で顔を洗った。
外へ出る前にリビングに顔を出しておく。

「…おはよう」
躊躇いがちに朝の挨拶をすると、母が驚いた顔をした。
「おはよう。アンタが早起きするなんて、珍しい事もあるもんだ。なにその恰好」
「いや…今日からジョギング始めようと思って」
「ふうん…いいんじゃない?珍しく何をやる気になってるのか知らないけど、いい事だよ。がんばりな」
てっきり笑われるか正気を疑われるだろうと思っていた溝口は、肩透かしを食らったような気分である。
「…じゃ、行ってくるわ」
絞り出すように言って、玄関に向かう。その背後から「早朝だからって、気をつけなさいよ」と母の激励が聞こえた。

溝口の家から駅までは緩やかな下り坂である。通学の際に行きは困らないが、疲れて帰宅する際にはやや辛い。ジョギングにおいても同じである。
そこで最初のうちは、高台の傾斜に対して水平な道を走ってみることにした。
昭和台住宅団地は、山の南側に傾斜の緩い部分を切り開いて造成されている。南から北に坂道がのぼってゆき、東西方向は水平に道がつくられている。東端から西端までは500メートル程度あり、溝口の家は概ねその中央に位置していた。

まずは東西どちらかの端までゆき、1区間上るか下るかして、反対側まで行ったら元の道に戻る。これで1周ほぼ1㎞になる。
とりあえずは1周軽く走ってみて時間を計測し、それに従って何周するかを決めるということにした。
スマホの時刻を確認し、歩くよりは少し早い程度のスピードで走り出す。目標は10分、時速6㎞とした。

早朝とはいえ、6時過ぎである。家々では既に日常が動き出していて、どこに向かうのか、走り去っていく車もあった。
走り過ぎる家の窓から台所の音、テレビのニュースがきこえる。遠くで目覚まし時計の音。二階の窓が開き、逆光に洗濯物を干す女性の影が落ちる。
そこには確かに生活があった。これまですぐ傍にありながら、目に入らなかった風景である。

(おかしなもんだな)
《灯台元暗し、ですか。身近な世界ほど盲点になるものです》
(統計的にもそうなのか?…けど、俺が言いたいのはそういう事じゃない)
《気の持ち方ひとつで認識は変わりますよ》
(こんな状況になって初めて、俺は世間との繋がりを認識したんだろ。そんな俺に世界を繋ぎとめる資格があるのか?)
《資格なら誰にでもあります。私が必要としたのは、資格ではなく資質です》
(それこそ不足だろう)
《気の持ち方ひとつで認識が変わったのだから、十分な資質を備えているではないですか》
(…死にたくないってだけだ。あんま持ち上げるなよ、危機感が失せる)
《善処します》

軽く息を切らせながらも、立ち止まることなく1周を過ぎる。スマホで時間を確認すると、12分かかっていた。想定よりやや遅いペースである。
腕時計が必要だな、と口の中で呟いて、少しだけペースを上げる。
次の1周は9分弱まで縮まったが、まだだいぶ余裕があったので思い切ってペースを上げ、軽快な速度で走ってみた。
すると、400mも走らないうちに息が上がってしまった。既に2㎞分の疲労があるとはいえ、これは完全に運動不足である。

額から流れ落ちる汗を手の甲で拭いながら、タオルを持ってくるべきだった、と苦い顔をする。
ちょうど目の前に小さな公園が見えていたので、一旦そこで息を整える事にした。

この公園は団地が造成されるときに設置されたもので、元々は滑り台やブランコなどの遊具もあったのだが老朽化で撤去され、今では地区の災害時避難場所として、防災倉庫が設置されているだけである。
公園だった頃の名残で水道があり、コンクリート製のベンチが2つ並んでいる。
かつてはここで退屈を持て余した老人たちによるゲートボールが行われていたようだが、高齢化社会が進んだ結果、そんな余力のある老人もめっきり減ってしまったらしい。公園の隅にあるスチール製の物置はすっかり朽ちてしまっていた。
それでもこの公園は町内会によって維持管理されていて、ともすれば雑草が伸び放題な荒れ地になるところを定期的に除草されており、公園としての最低限の体裁だけは守られている。

溝口は小学生の頃にこの公園で何度か遊んだ記憶があるが、それでも高学年になる頃には自分専用のゲーム機を手に入れて、外で遊ぶということもなくなった。
普段から帰宅時になんとなく目に入る場所でもあり、懐かしさというものはない。
そんな場所に8年か9年ぶりに足を踏み入れても、やはり何の感慨もない。ベンチに腰を下ろしてみても、昔の風景を思い出せはしなかった。
ただ、少なくともそこは以前から確かに存在している場所なのだった。その程度の事が今の彼には嬉しいのである。

そうしてベンチに腰掛けぼんやりと涼んでいると、不意に小型犬の甲高い鳴き声が聞こえてきた。
朝のうちに犬の散歩をする者は珍しくない。特に注意を払うこともなく雲の流れを見ていると、その小型犬は公園の中に入ってきたようだった。
流石に少しだけ気になってその方を見てみると、その小型犬は白のフレンチブルドッグで、その首輪にはリードがつけられていないのだった。

放し飼いであったとしても特に危険性はないに違いないが、傍目にあまり気分の良いものではない。双方の安全性を考えれば無責任といえる。
溝口は動物が嫌いではない。犬については好きでも嫌いでもないし、仮に大型犬が目の前にいたとしても、恐怖感は感じないだろう。きちんと飼育下にある限りは。
その点で、リードがつけられていない犬には大小に関わらず若干の苦手意識がある。躾がなっていないという事ならば、見知らぬ人間に対して何をするかわかったものではない。特に小型犬となれば猶更である。

が、見たところその犬は今のところ溝口にはさほどの興味も示さず、公園の反対側の隅で虫でも見つけたのか、乱雑に走り回っているのだった。
呑気なものだ、と思って眺めていると、視界の端に人の姿が映った。恐らくその犬の飼い主なのだろうが、溝口はそのあまり特徴らしい特徴のない、はっきり言えば地味、な横顔を知っていた。

同じクラスの植木莉子(うえきりこ)である。彼女もまたこの団地の住人であった。

同じ団地に住んでいるといっても、溝口と植木は、幼馴染とか旧知の仲という関係性にはない。それぞれの家は直線距離で100mと離れていないのは事実だが、生まれた頃からこの団地に住んでいる溝口とは違い、植木は中学3年の夏に新築を建てて引っ越してきた。
また、溝口は徒歩で通える距離にある川東中学に通っていたのであるが、植木は越してきたのが中3ということもあって、転校せずに元の中学にそのまま通い続けた。
そのような理由で、溝口は植木について、実のところ泉光高校に通うようになるまで、全くと言っていいほど知らなかったのである。今ではほぼ毎朝駅で顔を合わせる存在だが、会話をした事は一度もない。会釈程度の挨拶を交わした事すらないのだった。

溝口は彼女に気付かれていない内にこの場を離れる事にして、ベンチを立つ。途端、犬が狂ったように吠え出した。
(今更気付かれた!?)
内心焦る溝口は思わず背を向けようとしたが、犬が前方に素早く走りこんできた。
「ジョナ!駄目!」
植木が制するように声を上げたが、ジョナと呼ばれた犬は全くそれを意に介する事もなく、溝口の前方で足を広げて大いに踏ん張り、必死に吠えているのだった。
(放っておいてくれれば、すぐにでも出ていくものを…)
そうは思いながらも、溝口としては吠えている犬に向かっていく訳にもいかず、犬に視線を向けたまま、距離を保ちつつ迂回して公園を出た。
そうして少し歩いてみても犬の追ってくる気配は無かったので、溝口は再び走り出した。

(植木か。盲点だったな)
《彼女は毎朝この時間に、犬を散歩させているようです》
(リードくらいつけさせろよ)
《それは直接彼女に言うべきでしょう》
(いずれにせよ、あまり顔を合わせたくない)
《関係性が気になりますか?ご近所で、毎朝駅で顔を合わせて、同じクラスで》
(できるなら無関係でいたい。この状況でいい影響があると思うか?)
《悪い影響が出るとも断言できません。それに、貴方が歪みの中心付近にいれば、否応にも目立ちますよ》
(…悪目立ちだな)

溝口はジョギングをここで切り上げる事にして、残りの500mほどを全力で走った。案の定200mも進まぬうちに息が上がって速度は半減したが、それでも足を止めずにどうにか走り切った。
詰まった息を必死で整えつつ、粘ついた唾を何度も吐き捨てる。余裕のあるジョギングをするよりも、こちらの方が確実な効果があるように感じられた。
ポケットに入れておいたスマホは汗でびっしょり濡れている。朝食前にシャワーを浴びるだけの時間はまだ残っていた。
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

  1. 2018/10/19(金) 21:07:37|
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