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『あの日見た君の横顔を、絶対に忘れない』 #8 カティル

時間が動き出す。無論、正確には『アカシックレコードによるシミュレートの終了』なのだが、溝口にとってはそれは確かに認識そのものである。ズボンのポケットに伸ばしていた右手を戻して、ひとまず自分の体がきちんと動くのを確認し、ほっと息をついた。
トイレ最奥の個室の中、それほど騒々しくもない空間だったはずが、いざ無の状態から戻ってみると、思った以上に様々な音で溢れているのがわかる。
廊下のスピーカーから流れてくる有線放送の音楽、用を足そうとする人の咳払いと放尿音、隣の個室で流れる水の音、遠くに人々の平和そうなざわめき。
ごく当たり前の情景であったものが、今はどこか異質なものに思えるのは、自分自身がつい先ほどまで改変の影響を受けていたからだろう。
『あの連中』が存在しているというだけで、この場所は既に歪んでいるのだ。そのことに強い怒りを感じている自分に気が付いて、彼は一旦落ち着くため、アカシックレコードとの対話を試みた。

(成程、これほど正確に俺の思考と反応をシミュレートできるということは、アカシックレコードってのは伊達じゃないんだな)
明確に指向性のある思考を言語化してみると、想像通り、先ほどと同じガラスのような思考が流れ込んでくる。
《はい。ですから、この改変が問題になるのです。ひとつ改変が生じた時点で、積み上げてきた予測が全て無意味になってしまいますから》
今度は、時間が止まってはいない。そのことが溝口を大いに安心させた。
(…一応確認するが、今のこのやり取りは俺自身の思考によるものだよな?)
《それについては保証します。ですが必要なのであれば、今後の意思疎通は全てシミュレートで行ってもよいですが》
(答えのわかりきった質問をしないでくれ。たとえ正確無比だろうが、他人に考えを押し付けられるのはごめんだ)
《どのような考えであっても、相互認識は必要でしょう。今後、私達は一心同体なのですから》
(どうかな。俺からしてみれば、試験管の培養液の中で脳みそだけの思考実験に付き合わされてる気分だぜ。俺の思考なんて必要か?)
意地の悪い質問だ、と自分でも思う。と同時に、皮肉なんて人間めいたものがこいつに通用するのか?という好奇心もあった。

《要不要を問われれば、必要だと言わざるを得ません。それはとりもなおさず、この状況が特殊だからです》
その明瞭な答えに、ああ、と溝口は嘆息した。
(そうだった。俺が必要なのは、お前『たち』が追いきれない改変に対して認識をもつからだ。そこで断絶が生じれば、俺は直感的に対応することもできるが、お前の予測は途切れるもんな)
《その通りです。まさにその直感という部分で、私にはあなたが必要なのです》
そのように認めてもらって、溝口は少々気を良くする。誰かに必要とされ、認めてもらうなどというのは、一体どれほどぶりの事だったろうか?

ひとまず5分ほど待って、溝口はトイレを出た。便座から腰を上げる際に、自分が下半身を露出していたことに恥ずかしさを感じたが、アカシックレコードは意にも介さないようだった。
《私は人間ではありませんし、性別もありませんよ。更に言うならば、私はこの地球上『ほぼ』全ての男性について、陰茎の大きさや形状、性的嗜好に性交渉の回数、自慰の頻度に至るまで把握しています。貴方は何一つ恥じる必要はないのです》
そりゃあお前にとってはそうだろうが、と溝口は毒づいた。相手が例え泌尿器科の老先生であったとしても、自分の恥部を見られているという認識を持たされるというのは、生理的に恥ずかしいものなのだ。
(まったく、勘弁してくれ…)
《反発があるのは理解しますが、いずれ慣れます。残念ながら私は、貴方の自慰のための手助けをする事はできませんが》
(『残念だ』なんて、これっぽっちも思ってないだろ!!)
《自らの生殖能力を確認し、性的欲求を紛らわせるのは、青少年にとって必要な行為でしょう。自慰行為では欲求が満たされずに罪を犯す者だっているのですから、貴方の性癖は全く健全ですよ。『ポニーテール』に『ふともも』、極めて一般的です》
(やめろ!やめてくれ!お前、それをユーモアとか冗談で済まされると思うなよ!!)
思わず罵詈雑言を口に出しそうな気分になったところで、溝口は自分がまた止まった時間の中にいたことに気が付いた。いつの間に仕掛けられていたのかはわからないが、つまりは策略のうちだったということだ。
つまりはそれほどに、『知そのもの』を受け入れるというのは厄介な事なのだろう。自分はただひたすらに配慮される側だという認識は、つらい。

大通路に接続する地点で、溝口はそこに行き交う人々を見た。
彼はこのショッピングモールに来た事がない。しかしそこで休日を楽しんでいる人々は、間違いなく『普段と変わらない日々を送っている』人々だろうと思える。
だが果たして、この平穏な日常はいつまで続くのだろうか?それを保証できるものなど、もう存在しないのだ。

(さて…)
壁に背をもたれかけて思案する。こうなった以上、自分はどう動くべきなのか?
改変の影響下にあった時点では、フードコートに戻ってエルシィとかいう子供にアイスクリームを奢ろうとしていた。
しかし今の彼には、そんな事をする理由がない。個人としてはもう帰ってもいいくらいの気分であるが、アカシックレコードは観測を要求するだろう。
(どうするべきだと思う?俺は帰りたい)
《私としては、当初の目的を遂行するべきだと思います。改変者が貴方の状態について気付いているかどうかはわかりませんが、相手の要求に従う限り、貴方に危害は及ばないはずです》
『危害』。唐突に出てきたその言葉に、溝口は身を強張らせた。
(ちょっと待て。そんな話は聞いてない)
《これについては、いくつかある可能性のうちのひとつ、という段階です。そもそも『私たち』には、この現象についての情報が不足しているのです。直接観測を行う必要があります》
(まあ、そういう話だろうよな。しかし、危険があるかも知れんというのなら、その可能性については知っておきたいぜ)
《はい。考えられる可能性はいくつかありますが、その根幹は大まかには二つです。一つ、この改変は『相川和也』を主人公とした、改変者の描く『物語』である》
(まあ、そりゃそうだろうな)
嫌悪感とともに肯定する。彼の知る限り、この状況は全てが相川に利するだけのものだからだ。
《そしてもう一つ。この『物語』には『視聴者または読者』が存在する。改変者とは別に、この物語を評価する誰かがいるという事です。厄介なのは、こちらですね》

納得である。ひどい脱力感に、溝口は頭を抱えてうずくまった。
(そうか…。そりゃそうだよな。この状況が物語として構成される以上、多かれ少なかれ第三者の目がある訳だ)
《改変者だけが問題であれば、表面化する状況を観測し続ければ、その人格や思考パターンをある程度類推できるでしょう。しかしここに第三者が間接的に関与する場合、全く予測できない事態が発生する可能性が高いのです》
(あれか。編集とか、読者アンケートみたいなやつだな)
《漫画雑誌で言えばそうなります。あるいは知人の横槍、WEB上の意見、盗作という場合もあるでしょう。高次の世界がここと同じような状況であれば、ですが》
(そこまでいくと、とりとめがなくなるな…)
的確に厄介だとわかる例を挙げてきたアカシックレコードに対し、溝口は、これ以上この件について考えるのは労力の無駄だと痛感させられた。
いかにアカシックレコードが物事を良く知っているとしても、いざ脈絡のない改変が起これば、それに対処しなければならないのは溝口自身なのである。そして彼には、その改変を予測できるような頭はない。

そこで彼は、一旦頭の中を切り替える事にした。自分の行く末について考え続けるのは、どうにも気が重いのだ。
(アカシックレコードってのは、長ったらしいよな)
《愛称をつけてくれるというのですか?ご自由にどうぞ》
(どうせ思考予測で、どんな風に命名されるのか判っているんだろうが…表面上選択権を預けてくれたのは感謝するよ)
憎まれ口になってしまったが、悪意はない。今後この関係性は重要になってくると思えたし、向こうもそれを理解してくれているとわかったからだ。
(アカシックレコードだからアカシ、ってのは短絡だしな。女っぽく感じられるから、もうちょっと柔らかい方がいい)
《伝達を男性風に変える事もできますが?》
(お前、茶化しているだろう。…アカシック、アカレコ、カシ…クレコ…。ああ、よし。カティルにしよう)
《はい。では以後そのようにお呼び下さい》
(淡々としてるな。やっぱり、これも予測通りなのか?結構捻ったつもりなんだが)
《聞かれれば答えますが、その通りです。ですが忘れないで下さい、そうでなければ私の存在意義は失われるのです》
(わかってるよ。俺は俺で、その時々で最大限の努力と最善の選択をしなきゃならん。お前は俺に指図もしないだろ?)
《その通りです。私が貴方を選んだのは、貴方がその事を理解できる能力を持っていたからですよ》
カティルのその言葉は少々過剰な褒めちぎりとも感じられたが、ともかくも溝口は、この状況に立ち向かっていく決意を固めた。
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

  1. 2018/09/16(日) 09:13:06|
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