FC2ブログ

有象無象ディメンション

Photofighter type-B Burst ignition

伊勢と元伊勢について考えたこと

という訳で、これ↓について考えてみた。
201805GW0020.jpg

伊勢の内宮と外宮を結ぶ線は京都を通り、そこから元伊勢は冬至の太陽が昇る方向に一直線に並んでいる。
これは神秘的!奇跡!という話なのだが…

ば~~~っかじゃねぇの!?

どこの誰かは知らないが、この図を描いた時点で何も気が付かなかったのだろうか?
そもそも伊勢とは「冬至の太陽を観測するために設置された機関」だという事に。

どういう事か簡単に説明すると、日本に稲作が持ち込まれて以降、暦というのは生活において極めて重要なものになっていた。
縄文時代の狩猟中心の生活というものは、基本的に「そこにある」ものを頂く。おおまかな季節を知る事はそれなりに大事だが、むしろその時々の気象に左右される部分が大きかった。
だが、稲作が入ってきて、食べ物が自分たちで生産できるようになる。これにより、より正確に季節を知る必要が出てきた。
また、稲作と同時に持ち込まれたものがもう一つある。それは「クニ」というシステムだ。
狩猟生活は良くも悪くも自己責任、誰もが対等の立場だった。しかし農作物を生産するとなると、より良い効率を求めるために支配する者・される者という構図ができてくる。

そうした中で、大きな力を持った一族の王は天皇を名乗ったのだろう。
それは、天照大神を祖に持つ宗教的象徴という意味ではない。天の動きすら支配することのできる、稲作中心のクニにおける絶対的な支配者という意味を持っていたのではないか。
天照大神がどうだとかというのは、天皇という称号を確立するための方便なのである。

天照大神は言うまでもなく太陽神である。これが最高神であるということは、ひとえに古代の人々が「太陽の動きこそが一年を表している」と知っていた、ということになる。
が、知られている通り、昔は太陰暦…つまり、月の満ち欠けを基準とした暦が使われていた。
月は30日周期で満ち欠けを繰り返す。なので30日を一括りとして「月」とよぶ。
この月が12回訪れると、おおよそ季節が一巡するわけだ。これは見た目にも非常にわかりやすい。

ところが、1年というのは正確には365日(厳密にはもうほんのちょっとだけ長い)である。月を基準にした暦はわかりやすいが、そのままでは徐々にズレが生じてくるわけだ。
1年で5日ズレるとすれば、6年で丸々ひと月ズレてしまう。月だけを見ていると、このズレが修正できないのだ。

そこで古代の人々は、太陽に基準を求めた。しかし太陽は眩しい上、満ち欠けというものがないので明確な基準が設けにくい。
だが漠然と、夏には日照時間が長くなり、冬には短くなるというのはわかる。であれば、もっとも長くなる日、もっとも短くなる日というのがあるはずだ。
そこで夏至、冬至といった日が発見されるのである。

冬至が年の初めとして選ばれた。冬の間は作物を植えないから、以後の調整ができる。夏至では既に作物を植えた後だ。
冬至を起点として暦を組めば、毎年同じタイミングで農業ができる。月の満ち欠けは季節を区切るための補助に過ぎない。

さてこうなると、いかに正確に冬至を観測するかが重要になってくる。
実は、このための観測施設は世界中に存在している。例えば、かの有名なピラミッドだ。
ピラミッドは極めて綿密な計算に基づいて作られた、天体観測施設なのである。
エジプトの主神はラー、太陽の神だ。そしてエジプトの王であるファラオは、ラーの神託を受けて統治する。
ラーの神託とはつまり、太陽の動きを観測して暦を発布するということだ。人々はこの暦を基準にして豊かに生活し、ナイルの氾濫を予測した。
だからファラオは、死してもその大事な役割を担い続けた。権力の裏付けであり存在意義、それが暦だったのだ。

アステカのピラミッドやストーンヘンジは夏至を観測した。稲作のない土地でそれぞれに理由はあるだろうが、どちらも正確な暦を求めた結果、現代に残る異様とも思える巨大構造物を残したのだ。
風雨に耐え、戦火すら退けて権威と生活を維持するためには、それだけ強固な構造物が必要だったのである。

それだから伊勢は、根を下ろすべき土地を求めて各地を転々とした。しかし根本的な所で共通しているのは、冬至を観測するという目的である。
だが、それだけなら何も一直線に並ぶ必要はない。どういう事か?

答えはおそらく簡単だ。伊勢が最初にどこに鎮座したかは知らないが、他の伊勢はその最初の伊勢が出した基準からズレないようにしたかった。観測する向きが違えば判断が変わってくるかもしれない、と考えたのではないか。
そうして後は、その土地が確実に冬至を観測できるかが焦点になる。恐らくは気候や地形条件、地震の頻度など様々な事を加味したのだろう。そうして安定性に欠けるとなれば別の場所を探す。あるいは、別の場所が定まるまでは暫定的に伊勢として扱ったのだ。
そうして太陽の観測を内宮が受け持ち、外宮は作物の実りを祈願する。伊勢とは、人々が生きるための信仰だったのだ。

以上は俺の想像であり、調べていないので裏付けもなにもない。が、このように考えるのはごく自然なことと思う。
それと、もうひとつの想像。内宮の本殿は本来、ご神体の鏡に対して冬至の日の光が一直線に入るような構造になっているのではないか?
これについては、要検証…。
スポンサーサイト

テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記

  1. 2018/05/07(月) 20:59:23|
  2. 論評分析批評の類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


  5. にほんブログ村 その他日記ブログ その他30代男性日記へ
    押してくれとは言えないが
<<銀行のキャッシュカード | ホーム | 2018年5月1~5日 長崎方面への旅 写真>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://photofighter.blog121.fc2.com/tb.php/3542-7bf74f78
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

酔狂な人達

プロフィール

オレンジ02

Author:オレンジ02
徒手空拳で世の中エグろうと試みる人、俺。
ブログ名義でツイッターもやってます。

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

リンク

ブログ内検索

RSSフィード