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「けものフレンズ」が突出した理由を考える・前

・「けものフレンズ」が突出した理由を考える

敢えて「ヒットした理由」とはしない。そんなのは今更の事で、一人が全体を通して脚本を書いた事による一貫性、製作スタッフの細やかな気配り、華美過ぎず不足してもいない絶妙なバランスの3DCG、そして子供にも受け入れられる事を目的とした素直な展開。
作品として極めて良く出来ているのは明白で、仮にここまで話題になっていなくても、ファンの間では長く語り継がれる隠れた名作扱いになっていただろう事は想像に難くない。

そこで問題は「何故ここまで大きなヒットとなったのか」である。
まず最初に、「けものフレンズ」を視聴していた者として状況を分析してみたい。

・1話が提示した方向性

1話放送当時、多くの視聴者はこのアニメに対してあまり良い印象を受けなかった。俺もその1人だったが、2017年のアニメとは思えない見た目の稚拙さと安易でベタすぎる脚本は、この作品が深夜アニメであるにも関わらず「子供向け」であると思わせた。
実のところ、その認識は間違っていない。何故なら「けものフレンズ」が提示してみせたのは、「個々の蓄積した情報をリセットする」というものだったからである。
簡単に言えば、それぞれの視聴者が理解していたアニメという概念、どういったものが世間的に好まれ、また個人としてどういう傾向を好むかという、言うなれば「価値観」である。
一見貧相に見える映像と何の捻りもないかのようなストーリーを受けて、視聴者はこの作品の視聴を続けようとする時、「この作品は自分が評価するレベルには到達していない」と、一旦自分自身の価値観を取り下げるのである。

・視聴者に「気付き」を与える

ところが実はこの時点で、視聴者が見落としやすい部分、またストーリー上のあちらこちらに「小さな違和感」が仕込まれている。
それは例えば「ヒトの不在と認識の欠如」だったり「サーバルちゃんには人間的行動がとれない」という、奇妙ではあるけれども漠然とやり過ごしてしまうようなものである。
多くの視聴者がこの違和感を見過ごす中、幾人かの鋭い視聴者はこの違和感に気が付いて、何故そうなっているのか考え始めた。
「サーバルちゃんやカバさんがヒトを知らないのは、そこにもうヒトがいないからではないのか(アプリ版終了後の世界という推測)」
「サーバルちゃんは動物としての経験しかもたないから、物を掴むとか、手先を使った行動という概念そのものを持っていないのではないか」
こういった指摘が出てきた事により、画面を観察し知識と照らし合わせる事で得られる情報が新たに蓄積されていく事になる。それは既存の価値観とは異なる、作品独自の新たな価値観の構築であった。

・視聴者自身が楽しみ方を広める

これらの気付きがネット掲示板やツイッターで拡散されるにつれ、「このアニメはそういう視点で見ればいいのか」と理解し始めた人々が更に各々の見解を発表し始め、まるでミステリー作品を皆で読み解いているかのような一体感が生まれてきた。
しかしその時点ではまだ誰もこの現象を言葉にする事ができなかった上、作品のスタンス自体は1話で示した方向性を維持したために、先ずは「わーい」や「すごーい」といった取っ付き易いタームが「1話で切った人ではなく、まだ未見の、1話を受け入れられる人向けに」発信されていく。
そうして、方向性を楽しむ者と謎解きに挑む者の融和が起こったのが、4話なのである。
以後、けものフレンズはこれら要素が融合している前提で語られる事になる。
しかしやはりこの状態を明確に言葉にするのは難しかったため、「具体的に何がどうなのか」「どういう状況がそうなるのか」といった形で、作品の楽しみ方が丁寧に拡散されていった。
この草の根での親切丁寧さこそが、けものフレンズのファン(フレンズ)を増やしていった主要因ではないかと考えている。

・評価と批評の乖離がしめすもの

けものフレンズは当初の方向性を大きく変えることなくストーリーを進め、11話における衝撃はあったものの、作品を理解していれば予定調和ともいえる大団円でもってひとまずの幕を閉じた。
多くの視聴者にとって大団円は既定路線だったが、ある種の人々にとってはこの大団円さえ批判の対象となる。
それは簡単に言えば「既存の価値観でもって作品を批評する人々」であった。
けものフレンズという作品に対する評価ではなく、既存の様々な作品と比較しての批評。これは一方では正しいものであるけれども、しかし作品の訴えたかったものをまるで理解していないという点において、完全に間違っていた。
この作品の主題は、シンプルに「自分探しの旅」である。記憶喪失のかばんちゃんが、類似の存在の無い世界で自らの存在を尋ね歩き、フレンズ達の悩み事を解決していくことで自分の能力を知り、友情を育んでいく。
11話までにその結果はおおむね提示されたため「かばんちゃんの役割は終わった」と考える人がいたのは仕方のない事だが、実は最も大きな成果が提示されていなかった。
それは「友情とは一方通行のものではない」という、ごく当たり前の事だった。この当たり前の事ですら、既存の作品群の中においては軽視され、時には無視されてきたという事なのである。
つまるところ、けものフレンズはそれら「当たり前の事を軽視し、視聴者の心を裏切る」ような作品ではなかった。だからこそ多くの人がこれを求めたのではないだろうか。

ここまでは、内的要因。
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  1. 2017/04/21(金) 20:50:12|
  2. 論評分析批評の類
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